ILO_Japan_Friends’s diary

ILO Japan Friends’ diary

国際労働機関(ILO)駐日事務所・インターンによるブログです。

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ILO職員インタビュー第2回(2/2):田中竜介プログラムオフィサー/渉外・労働基準専門官

前回は、田中プログラムオフィサーのILO駐日事務所での業務ややりがいについて伺いました。

政労使三者それぞれの団体との連絡・調整を通して、グローバル視点で人や制度を少しずつでも動かしていくことに大きなやりがいを感じていると語ってくださいました。

今回は、そんな田中プログラムオフィサーのキャリアパスについて聞いていきます!

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国際公務員になるまで

――次に田中さんのこれまでのキャリアについてお伺いします。なぜ弁護士から国際機関職員へ転身されたのでしょうか?

 

国際公務員へのあこがれを抱いたのは大学在学中です。就職を考えるにあたって、社会人になって自分が誇れることは何だろうと考え本屋の資格コーナーに通い詰めていました。そこで輝いて見えたのが国際公務員だったのです。国際公務員という夢ができ、それを周りに語ると結構応援してもらえました。ただ、その夢を祖父に話した際、普段は無口な祖父が「安定した会社に入って家族を持つという道もあるんじゃないか?」と心配してくれたことがあって、国際公務員という道が厳しいことを認識し一度考え直すことにしました。祖父は戦後に樺太から帰還したこともあり、海外で時に孤独に苛まれながら働くことが険しい道であることをわかっていたのだと思います。

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私自身は、そのアドバイスも受けながらも、何か自分が誇れる専門知識を日本で身につけた後に国連機関に行ってもよいのではないかと思い、司法試験の道をめざすようになりました。司法試験の勉強中は国際公務員のことは頭の片隅に追いやられていましたが、憲法に学び、人権について基礎から考えたことはいまでも役に立っていると感じます。弁護士のころは労働や倒産など様々な案件を手掛けました。

 

 

――ということは国際機関で働くためには専門性が必要であると考えて弁護士になられたわけですね。国際機関で働くという思いが再燃したきっかけなどはあるのでしょうか?

 

弁護士としては、労働案件や企業の合併買収、会社法務などを主に扱いました。労働案件では、労働側の代理人としてセクシュアルハラスメントの被害者の救済や解雇無効の主張をしたり、また時には企業側の代理人として人事制度の整備や労務管理について深くコミットしました。様々な業務に触れる中で、たとえば海外の企業を買収するときの労務に関する調査(デューディリジェンス)や買収後の人事労務戦略の構築など、より国際的な視野から、様々な文化における労働規制のあり方を理解して解決策を提示できるようになれば、それが強みになるのではないかと考えるようになりました。より単純には、労働事件が好きで、英語を使って国際的に労働の仕事がしたいと思ったのです。

 

 それから留学を決意し、米国の大学院に挑戦する際に、さらにキャリアビジョンを明確化する機会を得ました。これは私が留学を勧める一つの理由でもありますが、留学の応募書類の一部、パーソナルステートメントを作成する際に、徹底的に自分の人生を振り返って、過去・現在・未来、これらを一直線に繋げないとよいものが書けないのです。自分の人生を一定の方向に向かっていくように見せるため、過去のキャリアやそこで感じたことなどを元に、将来のあるべき姿を具体的に描き、そのゴールにたどり着くために、応募する大学院での授業が必要不可欠であるというような具合です。説得的なステートメントにするために、一度立ち止まって具体的なキャリアゴールを様々思い描く時間が持てたのは、今考えても本当に貴重なことでした。

 

 

――田中さんは紆余曲折ありながらも国際機関で働きたいという思いがあって、弁護士として専門性を積む中で労働問題に関心が強くなり、そのご経験からILOを選ばれたんですね。

 

 私の場合、本当に紆余曲折でした。ただ、チャンスは行動次第で降ってくるといつも思っています。私は弁護士としてのキャリアをスタートし、留学に向けて国際労働弁護士という目標を立て、留学では専門家の教授のオフィスアワーに相談に行き、学内向けセミナーも国際機関に近しい人がいたらその人を選んで話を聞いたりしていました。そうするとだんだんインターンや学生ネットワークについての情報が集まり、国際機関の人事担当者に履歴書を送る機会が巡ってきたりしました。現職に関連するところでも、留学前にILO駐日事務所でインターンをして、帰国後も同所が開催するセミナー等に足を運び、職員の方と意見交換などをし、関連業務でのコンサルタントなども経験させていただきました。今振り返ると、それらの経験は何らかの形で今に繋がっていると思います。

 

 

――国際機関の情報を集めるにはやはり積極的じゃないとだめなんですね。

 

私の場合、デスクリサーチだけで留まっていたらポジションは得られなかったと思います。人と会い、その人と価値観を共有することが重要だというのが教訓です。例えば私が様々なセミナーに足を運んでいたときは、「こういう仕事がしたい」とか「こういうキャリア目指している」などの希望を伝えるだけでは、記憶にとどめてもらえないと考えていました。具体的にそのセミナーの内容についての自分の考え、セミナーで提示された課題をどのように解決したいかなどを議論して、価値観の一致点を探るといったことをやっていたように思います。今でもそういったご自身の考えを語ってくれる方が会議やイベントの会場にいるとうれしいですね。

 

 

 国際機関を目指す若者へのアドバイス

――国際公務員ILO職員を目指す法曹志望者/若者にアドバイスをお願いします。

 

国際機関で働く上で資格が必要ということはありませんが、国家資格を受けたエキスパートであるというのは、国連で働くうえである程度のアドバンテージがあると思います。特にリーガルの資格は、Rule of lawを理解していて、個々の問題にリーガルのアプローチで対処することができるものと捉えられているようです。事実収集・評価やルールの適用、そしてリーガル文書の作成などは、国際的な文脈でもある程度共通したスキルであり、基礎的なリーガルの素養をもっていると重宝されるという場面もあるかもしれません。

 

法律家に限らず国際機関を目指す人へのメッセージとして、パッションを大切にしてください。自身がなぜその分野、その機関にパッションを持ち、そこでの仕事に満足感が得られるかどうかを、経験を通して理解できるとよいと思います。私の場合には、国や文化、立場や仕事が違う労働者であっても、働くことへの意欲や得られる幸せに共通のものがあり、それぞれの社会経済背景や法制度に縛られても、求めるものには共通したものがあると思っていて、どんな状況にあっても、その人を助けたい、自分の知識を使って助けられるかもしれない、そういう思いがありました。ただ漠然と「国際公務員」と思っていたころは、様々な機関の中から自分に合うものは見つかりませんでしたし、情報についても具体的なものは集まりませんでした。一つ明確なものを、自分の感情や経験を通して見つけ、その道を極めるために情報を収集して、その道に近い人と会って話をすることが大事だと思います。

 

特に10代後半から20代にかけては時間がありますから、自分で人生の道筋を立てられます。今考えると、20代のころは時間があり、また時間を作れたので、最大限情報収集をすることができました。もちろん30になってからでも遅くはないと思います。

 

 

――最後に読者にメッセージがあればお願いします!

 

先輩方にいただいた言葉を大事にしてください。私の場合は、一つは研修時代に指導弁護士に言っていただいた「どんなに嫌でも3年やらないと身につかない」という言葉。また、ILO事務局長の言葉で、「まずは考えたことを実践してみなさい、国際機関はそれができるんだから」という言葉は、いまでも私が道に迷ったときの道しるべです。

 

出会った言葉は思い出さないと消えていってしまいます。その言葉をかけてくれた人たちは私たちのことを客観的な視線から考えてくださっています。だからこそ、そういう言葉を是非大事にしてください。

 

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――お忙しいところ長時間にわたりありがとうございました!

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次回は、川上剛 労働安全衛生・労働監督上級専門家にお話しを伺います!お楽しみに!