ILO_Japan_Friends’s diary

ILO Japan Friends’ diary

国際労働機関(ILO)駐日事務所・インターンによるブログです。

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条約適用の監視機構の仕組と手続

目次

1.はじめに

皆さんはILOって何かご存じでしょうか?

今回はILOの使命の中でも特に重要な条約適用の監視機構の仕組みと手続きを解説したいと思います。尚、本投稿では論評は行っていないつもりですが、一部筆者の個人的見解が含まれています。 

 

2.ILOって何?

国際労働機関(ILO)は、1919年に創設され、今年100周年を迎えた、仕事の世界のために尽くす国連の専門機関です。国際労働基準を設定し、仕事における権利を促進し、働きがいのある人間らしい仕事(ディーセントワーク)の機会を推進し、社会的保護を拡充し、仕事についての対話を強化します。ILOは、政府、使用者及び労働者の三者で構成されており、この三者が同等の立場で活動に参画できる唯一の国連機関です。

 

3.ILO専門家委員会って何?

ILO専門家委員会というのは、正確には、ILOの条約勧告適用専門家委員会といいます。

この委員会は、国際法、労働法などで卓越した経験のある専門家20名で構成されており、判断の中立性を確保するため、出身地域、専門法体系、文化的背景の適切なバランスをとって配置されています。日本からは、専門家委員会が設立された1927年から委員がほぼ途切れることなく選出されています。最近では、(故)横田洋三博士が長年委員を務められたほか、委員長にも就任されていました。現在は、立命館大学法学部の吾郷真一教授が委員として活躍されています。

委員会の任務は、①批准条約について加盟国が送付した年次報告の検討、②総会で採択された条約勧告の国会提出について加盟国が提出した報告の検討、③未批准条約及び勧告について加盟国が送付した現況報告の検討です。

強制労働に関するILO条約第29号は中核的労働基準と呼ばれる重要な労働基準であるため、政府は適用状況に関する報告書を3年毎に提出することが求められています。また、労使団体は、条約の適用状況に関する意見書(observation)をILOに直接送付することができます。

委員会は、こうしてILOに届けられた政府報告書及び労使団体の情報提供を審査し、その結果を報告書にまとめ、総会に提出するほか、各国政府にも送付します。

 

4.基準適用委員会(総会委員会)

専門家委員会の他に、監視機構として、毎年開かれる国際労働総会(ILO総会)ごとに設けられる「基準(条約・勧告)の適用に関する総会委員会」があります。この委員会は、総会に出席する政府・使用者・労働者の三者で構成され、専門家委員会の報告書の中から個別の検討を要するとされた個別審査案件について、当該国の政労使を招き、詳しい情報提供を求めますが、条約・勧告の適用に関してそれぞれの利害がある政労使の間で激しい討論が交わされることが少なくありません。             

総会委員会における討論と結論は、本会議に提出されて採択されます。特に懸念される状況については、特別の段落にまとめて強調されます。そのため、専門家委員会の報告書に比べて、国際的世論からの注目度は格段に高くなります。[1]

 

5.憲章上の申立て及び苦情申立て

ILOには、専門家委員会及び総会の基準適用委員会による通常の監視手続に加えて、批准条約の実施上の問題点に関する申立に基づく手続として、①申立て―Representation(憲章24条及び25条)、②苦情申立て―Complaint(憲章26条~29条及び第31条~34条)があります。①は、労使団体による、ある国がその批准条約を遵守していないという申立ての提起で、②は、ある条約の批准国、理事会又は総会代表による、当該条約を批准した他国が条約を遵守していないという苦情申立ての提起です。

いずれの手続も、委員会への意見書の送付(情報提供)とは異なり、理事会の決定に基づく委員会の設置など本格的な調査を開始する手続であるため、受理要件がととのっていなければ受理されません。この苦情申立ての利用が認められたことは多くなく、現在まで13件にとどまります(https://www.ilo.org/global/standards/applying-and-promoting-international-labour-standards/complaints/lang--en/index.htm)。

 

6.韓国の労働組合からの意見書

a. なぜ意見書が出されたの?

ところで、韓国二大労組 ILOに日本批判の意見書提出=強制徴用判決問題(https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190917-00000034-yonh-kr)というニュースが先日報道されたのを覚えていらっしゃる方もいるかもしれません。専門用語が多く、なぜニュースになったのかわからなかった方も多いのではないでしょうか。

韓国政府は、ILO条約第29号を批准していないため、韓国の労組は、韓国政府に対して、①の申立てにより、強制徴用された被害者救済を申立てることはそもそもできません。そのため、韓国の労組は、条約第29号に批准している日本政府に対して意見書を送付せざるを得なかったと思われます。また、同様の理由から、韓国政府も、日本政府に対して、②の苦情申立てにより、強制徴用された被害者救済を申立てることもできません。そのため、引用記事中にあるように、韓国労組は、韓国政府が②の苦情申立てを利用することを期待して、政府に条約第29号の批准を求めているものと思われます。

なお、引用記事中では、「韓国政府が提訴できない」と書かれていますが、「苦情申立て」(②の手続)というのが正確でしょう。

 

b.韓国の労組の意見書はどう扱われるの?

今回のニュースでは、韓国の労組は、日本政府が提出した年次報告書の検討資料とするために、第29号に関する意見書を、専門家委員会に送付したものと思われます。この意見書は、専門家委員会が報告書を作成する際に情報提供として参照することができます。労使団体が委員会に対して意見書を送付する頻度は少なくなく、ILOも意見書の送付を当然に予定しています。

例えば、日本国の条約第29号の順守状況に関する2015年の専門家委員会による報告書(https://www.ilo.org/dyn/normlex/en/f?p=1000:13100:0::NO:13100:P13100_COMMENT_ID:3256111)を見ると、日本政府の報告書、全日本造船機械労組(AJSEU)、日本経済団体連合会日本労働組合総連合会などからの意見書の提出があったことの記載がされるとともに、AJSEUの意見書の概要と政府からの報告書の概要を記載していることがわかります。

なお、強制労働関する条約(第29号)に関し、2000年以降、我が国がILO専門家委員会の報告書で取り上げられた年は、2000年から2004年まで、2006年から2010年まで、2012年、2015年、2018年です。2018年の報告書のみ慰安婦問題だけが取り上げられ、他の年は徴用工、慰安婦問題のいずれもが取り上げられています。

徴用工問題を取り上げた年次にばらつきがあるのは、労使団体が送付した意見書で徴用工問題が触れられていたか否かが大きく影響していると思われますが、意見書の内容を確認できていないため、正確な理由は不明です。

 

7.専門家委員会はこの問題についてどう言っているの?

例えば、日本国の条約第29号の順守状況に関する2015年の専門家委員会による報告書(https://www.ilo.org/dyn/normlex/en/f?p=1000:13100:0::NO:13100:P13100_COMMENT_ID:3256111)には、以下のように書かれています。

The Committee expresses the firm hope that, given the seriousness and long-standing nature of the case, the Government will make every effort to achieve reconciliation with the victims, and that measures will be taken, without further delay, to respond to the expectations and claims made by the aged surviving victims of wartime industrial forced labour and military sexual slavery.

「委員会は、問題が深刻であり長期に渡っていることに鑑み、政府が被害者と和解に到達するあらゆる措置をとるよう強い希望を表明するとともに、戦時中の産業強制労働と軍事性奴隷の生存する高齢被害者からの期待と要求に応える手段がすみやかに取られることを望む。」。

 

8.専門家委員会の所見に従わなくてもいいの?

専門家委員会が報告書において、各国政府に働きかける内容を記載することは所見と呼ばれます。所見は、各国の労働法制の改善に向けた一つの有力な指針となりますが、拘束力はありません。また、専門家委員会の所見には執行力もなく、報告書の記載は努力義務を示すもので、履行義務を伴う救済命令とは性質を根本的に異にします。すなわち、専門家委員会の所見に従うかどうかは各国の自主的な取組みに委ねられます。

日本国の条約第29号の順守状況に関する2015年の専門家委員会による報告書(https://www.ilo.org/dyn/normlex/en/f?p=1000:13100:0::NO:13100:P13100_COMMENT_ID:3256111)も、上記の理解に基づいた記載になっています。

“ The Committee recalls that it has been examining since 1995 the issues of wartime industrial forced labour and sexual slavery (so called “comfort women”) during the Second World War. While recalling that it did not have power to order relief, the Committee expressed the firm hope that the Government would continue to make further efforts to achieve reconciliation with the victims, and that measures would be taken without further delay to respond to the claims being made by the aged surviving victims of wartime industrial forced labour and military sexual slavery.”

「委員会は第二次世界大戦中の徴用工及び慰安婦の問題を1995年から審査し続けていることを思い出す。救済命令を発する権限がないことを想起するものの、委員会は、日本国政府が被害者と和解する一層の努力を継続すること及び高齢となった生存する被害者からの要求に応える方法をすみやかに取られることの強い希望を表明する。」

 

9.総会での脱退決議?          

ただ、専門家委員会等からの所見に従わないことをILO総会や理事会で問題視された結果、ILO総会において制裁決議が出された歴史が全くないわけではありません。例えば、1961年の第45回ILO総会において、アパルトヘイト政策を採っていることを理由として、南アフリカ共和国の脱退を求める決議が採択されたことがあります(https://libguides.ilo.org/c.php?g=657806&p=4649132)。加盟国に対して脱退を求める決議はILO史上この1回しかなく、前代未聞の事態としてILOの歴史に刻まれています。

 

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10.まとめ

ILO専門家委員会は、送付された意見書があれば、少なくとも意見書が送付された事実を報告書に記載し、加えて、意見書の内容に対して何らかのコメントを記載することが通常です。意見書の内容は不明ですが、元徴用工に対して損害賠償請求を認めた韓国大法院判決(2018年10月30日)に触れられている可能性が高いと思われます。韓国労組側の意見書に対してILO専門家委員会がどのような反応を示し、どのような内容の報告書の記載となるのか注目されます。

ちなみに、日本国の条約第29号の順守状況に関する2015年の専門家委員会による報告書には、2018年の大法院判決と同様の論理構成により、原告敗訴の原審を破棄し、原告勝訴の趣旨で下級審に差戻した2012年5月24日の韓国大法院の決定についてAJSEUから情報提供があったことが記載(note)されています。その記載を参照した結果、専門家委員会は、本記事「7.専門家委員会はこの問題についてどう言っているの?」で述べた所見を表明しています。


脚注

[1] 2018年6月に開催されたILO第107回総会では、日本の公務員の労働基本権制約問題について個別審査が行われ、日本政府、労使グループの各代表と日本の労使代表が意見を述べ、いくつかの政府や労働側の代表が討論に参加しました(https://www.ilo.org/wcmsp5/groups/public/---ed_norm/---relconf/documents/meetingdocument/wcms_630843.pdf)。採択された討論と結論において、消防職員と刑務所職員に直ちに団結権を認めること、自律的労使関係の確立にむけた期限を切った行動計画を労使と協議の上定め、その結果を2019年の条約勧告適用専門家委員会に報告することを求めました(https://www.ilo.org/tokyo/information/pr/WCMS_632278/lang--ja/index.htm)。