ILO駐日事務所職員インタビュー第1回:田口晶子駐日代表

ILO駐日事務所インターンによる持ち込み連載企画、≪ILO駐日事務所職員インタビュー≫が始動!!

 

本企画はILOや国際機関に関心のある方や将来のキャリアとして国際機関を考えておられる方にILOの具体的な姿をイメージしてもらえることを目的としています。職員の方へのインタビューを通してILOでの具体的な業務、やりがいやキャリアパスを皆様にご紹介していきます! 

記念すべき第一回目はILO駐日事務所の田口代表へのインタビューです!

 

 

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田口晶子 

1978年に京都大学法学部卒業後、労働省(現厚生労働省)に入省。在籍中に、海外経済協力基金へ出向、政策研究大学院大学教授、ILO駐日事務所次長、厚生労働省大臣官房国際労働基準研究官などを歴任。退官後に立命館大学大学院公務研究科で教授職を務めた後、2016年2月よりILO代表。

 

駐日代表の仕事

――本日は貴重なお時間をいただきありがとうございます。早速ですが田口さんは駐日事務所代表として普段どのような業務に従事されているのでしょうか?

 

田口:先進国にある国連のオフィスですので、一番大きい仕事は①その機関が何をしているかということを日本国内に知ってもらうこと、それから②逆に日本国内の労働社会問題についてILOや他の国に対して理解をしてもらうということが、大きな仕事になります。

その中には、例えばILOというのは条約設定の機関ですから、条約勧告について日本国内に理解を進めて、それで批准促進や適用促進につながるようにするとか。或いは、資金調達(リソース・モビライゼーション、resource mobilization)というか、ILOのプロジェクトに対して、資金や人材を提供してくれるところ、厚生労働省や外務省を始め、一緒に活動をしてくれそうな機関に対しての働きかけを行うとか。それから、ILOの仕事全体を日本国内にわかってもらうということで、セミナーを企画するなどの仕事を行っています。

 

代表としては、例えば何か催しがあるときにメッセージを出したり、そこで挨拶をしたり、講演したり、パネリストになったり、そう言った意味では、日本国内向けの仕事が結構多いと言えると思います。でも、本部に対してそういった活動を報告したり、また、NAP(ビジネスと人権に関する国別行動計画)の策定への関与などは日本国内の仕事であると同時に、本部に対してどのように日本政府がビジネスと人権について取り組んでいくかを示すものでもあり、国内向けと国外(ILO)向けと同じ仕事で両方の側面を持っていると言えると思いますし。

そういう意味では、例えば11月11日[1]に大阪であるシンポジウムについては、ILOの歴史とILOと日本ということがテーマなので、これについてはILOのことを日本国内に知ってもらうという意味が大きいです。(同日に)東京で開催されるセミナー[2]については、プロジェクトを担当しているバンコクの責任者が日本に来て行うということと、日本の状況をそういうプロジェクトの責任者に対してフィードバックするという意味で、一つのことで日本国内に対する広報とILOに対する報告、両方の意味を持つ活動が結構あると思います。

 

駐日事務所の役割

――先進国にある国際機関の事務所というところでは、駐日事務所の役割、存在している意義、また他の国のオフィスとの違いはどういうところでしょうか?

 

田口:国連の言語が使われている国じゃないということが非常に大きいと思います。もし駐日事務所というものが存在しなければ、ILOが出しているたくさんの英語の資料などは紹介される機会が極めて少なくなってしまうでしょう。特に関心のある人が英語のウェブサイトを見に行くということはあるかもしれないけれど、駐日事務所があるから多くの日本人にILOの活動を広めることができていると思います。例えば、ILOの場合条約・勧告が採択されたら1年以内に国会に提出することになっていますけれど、もし駐日事務所がなければ、1年以内に国会に提出されたものを一般の人が自由にみられるような形には、なかなかできていなかったと思います。そういう意味で、国連公用語が国語ではない国においての存在意義というのは、広報の意味で非常に大きいと思いますし。

 

それから、日本人職員が国連全体にそれほど多くないですけど、ILOもそれほど多くないということもあります。ILOの中で日本のことはあまり知られていないので、いろいろな形で日本国内のことをILO本部に伝えるということと、いろいろな機関と連携をとっています。今度大原社研との共催シンポジウム[3]もありますし、今コープ(協同組合)と協力してアフリカのコープリーダーの研修を行っていますし、ろうきん(労働金庫)とも協力して社会的金融機関であるろうきんを紹介するレポートをILO専門家がまとめてくれました。あと弁護士会とか、社会保険労務士連合会とか、いろいろな団体と連携を取ることによって、ILOのことを広く知ってもらうようにというのは、駐日事務所があったからできることだと思います。

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――他の国連公用語が使われていない他の国と比べて、日本にILOがある意味はなんでしょうか?

 田口:日本はILOができた時からメンバーであったということもあり、駐日事務所というのは1923年の一番早いときにできたオフィスの一つなんですね。ヨーロッパの国々にもオフィスがあるんですけど、規模が小さいオフィスが多く、日本と同じようなオフィスというとワシントンが比較的近いです。日本政府とのリエゾンというのが大きな役割になっていて、そのほかにも東京2020オリパラ組織委員会と労働CSRとディーセント・ワークの覚書を結んだりとか。それから、駐日事務所だけではなくて、ILO協議会とILO議員連盟という日本国内でILOの活動をサポートする機関があり、世界的にも非常にユニークな存在である、ということが言えると思います。

 

EUからファンドをもらっているプロジェクトとして、アジアにおけるグローバルサプライチェーンのプロジェクトとWE EMPOWER(女性の経済的エンパワーメント)のプロジェクトがありますけれど、先進国のオフィスというのは研究プロジェクトなどのグローバルなプロジェクトは別として、ODAの対象国しか開発協力プロジェクトがないので、そういう意味では駐日事務所がプロジェクトを2つ実施しているのは非常に特徴的と言えば特徴的だと思います。先進国と新興国と途上国とか、グローバルで各国の状況を比較していくというようなプロジェクトは今後も増えていくと思われるでしょうし。

 

キャリアについて

――田口さんは京都大学の法学部を卒業された後に、現厚生労働省である労働省に入省されて、その後様々なキャリアを経てILOに入られたと聞いております。

 

田口:ずっと厚生労働省の中にいて、大学にも出向したりしていました。厚生労働省を定年退職した後、立命館大学で教授になりました。それまで、厚生労働省から色々なポジションに出向とか派遣という形でつきました。その中の一つのキャリアが、駐日事務所の次長です。

 

――開発機関などにもいらっしゃったことがあるのですか?

田口:今はJICAの一部になったんですけれど、海外経済協力基金(OECF)にいました。90年代の初め、JICAは技術協力をする機関で、もう一つ円借款を供与する機関と、国の開発機関としては2つあって、OECFというのは円借款を供与する機関の方です。なぜ出向したかというと、ちょうど国連で開発に女性の視点を入れるというのが注目されていて、日本もガイディング・プリンシパル(guiding principle)とか指針を作らないといけないと。OECDDACという開発援助委員会で各国の開発機関に環境やジェンダーに関する指針を作りなさいと言われて、海外経済協力基金では中心になって指針を作れるような女性の職員がまだいなかったので、一番女性職員が多いと思われる労働省から誰か出向というお話があったと聞いています。

 

――出向のポジションには希望されたのでしょうか

田口:それは全く希望していたわけではなく当時の労働省の人事課の人からいきなり言われました。出向当時は戸惑うことが多かったのですが、今の仕事にも間接的に役立っています。

 

 女性と労働

――田口さんが働き始めた時期はどのような環境だったのですか?

今は内閣府男女共同参画局がとりまとめを行っていますが、戦後女性の地位向上に熱心に携わっている機関は労働省でした。特に、地方に婦人少年室という機関を設置し、今では地方労働局の中の雇用環境・均等部となっています。本省の婦人少年局というところの局長は最初から女性がついていて、国会議員にもなられた森山眞弓さんとか、文部大臣をされた赤松良子さんとか、そのずっと大昔にはILOにもいらっしゃった高橋展子さんとか、そういうこともあり、伝統的に女性をたくさん採っている省庁でした。

 

当時、婦人少年室が戦後すぐできたときは、本省直轄であった47都道府県それぞれの婦人少年室に、女性の小学校の先生などを中途採用していました。(採用)人数は2とか3で少しですが。まだ当時は農家が多かった時代で、働き始めた人(雇われて働く人)が少しずつ増えてきた時期。歴史的におもしろいというか、長い歴史があるところです。私自身がなぜ労働省を選んだかというと、女性をたくさん採用している実績のあるところだったから。80年当時は中央省庁の中でも女性を採用していない省庁もあった。そんな昔ではないんですが。

 

80年は均等法の前。均等法ができるまで四大卒よりも短大卒のほうが就職しやすかった。民間企業に女性が就職するにはコネクションとかがないと無理と言われていた時代。均等法ができた一番大きな理由は女子差別撤廃条約を批准するためですけど、国内では四大卒女子は就職が難しいという問題が背景にありました。国際機関はすでに女性をたくさん採っていて、先輩の方もたくさん働いていらっしゃいました。75年が国際婦人年、80年が国連婦人の10年中間年で、ようやく女性を採用していなかった省庁も門戸開放をするようになりました。

 

リーマンショックの直後とか不況の時期は女性の採用がまた悪化する。均等法制定直後は女性の就職がよかったのですが、そのあとしばらくバブル崩壊後の氷河期でまた女性の就職は困難になりました。第二次大戦後の日本は日本的雇用慣行のおかげで不況の時も失業率が高くならなかったとか失業者が巷に溢れるということはなかったし、若年者の失業も少なかった、ということはあります。そのかわり正社員と非正社員とで格差が大きく、女性は非正社員の割合が今でも多いです。半分くらい非正社員ですよね。男性は、非正社員は25歳未満の若年者と定年退職後の人たちに多いですけど、25歳から54歳のプライムエイジと呼ばれる人たちの非正社員は少ないですよね。氷河期の人たちは若干割合として多いですけど。でも女性(の非正社員の割合)はすごく多いです。

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――労働省ILOから見る労働問題に違いはありますか?

田口:労働省は一部農村での雇用も対象としていますが、主な政策の中心は雇われて働いている人なのに対して、ILOは部門別政策局の活動を始め、働いている人すべてが対象です。農業も漁業も対象。プラットフォームエコノミーに関しては厚労省も労働者を保護しようとしてはいますが、農業や自営業については政策の中心部分とは言えないということがあります。

もう一つ、ILOというより、海外経済協力基金の時に感じたことですが、開発途上国の働き方というと、今でも、水くみとか薪拾いとかに一日の大半の時間を費やしている人が世界にはいっぱい存在しています。日本だと家事と仕事の両立というと家事・育児などが中心ですが、途上国の開発協力では、水汲みやたきぎ拾いをしている人の生産性をどうやって向上させるかということまで求められることもあります。アンペイドワーク(unpaid work)といってそういう労働に時間を費やしている人たちがいて、ILO無償労働といった場合、大きな意味でいう家庭や地域の仕事ですが、先進国とは全く違う働き方をしている人がいるんだなあと。海外経済協力基金にいた際にこうしたことに関心を持ち始めました。

 

ILOならではのやりがいと困難はありますか?

田口:日本国内だけじゃなく、世界の他の国の情報が入ってきて、それに対して今日本がどうなっているかを紹介できるのは、国内で働くだけの場合に比べて非常に面白いです。

困難は、一つはやっぱり資料が全部英語ということ。アフリカの国では自国の施策をインターネットで(英語やフランス語で)紹介することができるのに、日本だと日本語の情報しかなくて、会議などで最新の施策を紹介することが難しい場合があります。日本は情報発信にもう少し工夫が必要だなと思いました。

また、いろいろなステークホルダーが参加しているので、調整も非常に大きな課題です。例えば厚生労働省で働いていたときは国の機関ということもあり、相手に自分たちの言うことを聞き入れてもらいやすかったと思いました。国際機関であるがゆえに他の機関と一緒に活動するときにいろいろ調整することの難しさがあると思います。ILO三者構成なので、労使の意見をお伺いするというのもあります。

 

読者に向けて

――最後に読者に向けて一言お願いします。

田口:国際公務員とかILO職員になることを特別なこととして捉えずに、気楽に応募してほしいです。ILOの中に基準設定と開発協力の二つの仕事がありますが、開発に関して言うと他の国際機関と同じように、他国の状況にもっと目を向けて、困っている人をどうやったら助けてあげられるかをいつも考えていてほしいです。ILO職員を目指すのなら、労働CSRや国際労働基準、SDGsとか、今の世の中での人権とか労働といったものにもっと目を向けてほしいと思います。

 

――ILO職員はどんな人が多いですか?

田口:本部のILO職員は他の機関の人に比べて専門性が高いと思います。移民の専門家は移民について第一人者であり、安全衛生ならその分野の専門性が非常に高いとか。逆に駐日事務所の職員は何もかも知っていなければならないジェネラリストであることが求められていると思います。ILOの活動の一部に特化するということは駐日事務所のようなオフィスではできないので、ILOの活動を全部知っていることが求められている気がします。

――駐日事務所でポストが増えるということはありますか?

田口:先進国オフィスでは短期の職員を募集することはあるかもしれませんが、ポストが増えることはあまり期待できません。ILOには一般的にJPOから入るかプロジェクトから入るかです。プロジェクトの中にはシニアポストもあれば実務経験が短くても応募できるポストもあります。インターンは職員ではなくあくまで訓練。職員はどんなにジュニアのポジションといっても契約があって給与が出るというところで違いがあります。

  

――ILOは今後どういう役割を担っていくべきですか?

田口:ILOは、次の百年について、私たちの未来を作っていくんだと言っていますけれど、将来どういう形になっても人間が働くということは変わらないと思うので、(ILOに求められるのは)変化に対し、迅速に適切に対応していくことだと思います。だから、今までは課題が起こってから対処すればよかったかもしれませんが、そこまで待っているとますます格差は広がっていくので、課題が起こる前からこういう課題が起こりそうだと考えて対応していくことが求められると思います。

 

――有難うございました!!

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インタビュー日:2019年11月5日

聞き手、編集:清水麻友美、豊原智恵

撮影:高田祥広

 


[1]
インタビューは11月5日に実施。

[2] https://www.jeita.or.jp/japanese/exhibit/2019/1111.pdf

[3] 法政大学大原社会問題研究所との共催で2019年11月11日に創立100周年記念・第32回国際労働問題シンポジウムを開催した。

https://oisr-org.ws.hosei.ac.jp/images/topics/1567050166/1567050166_3.pdf